糖質分子、特に多糖類分子の生理機能や応用材料としての高機能性は、主に結晶状態の特性に帰属することができます。天然高分子であるセルロースやキチンは”完璧な”立体規則性高分子です。合成高分子にも立体規則性に分類されるものがありますが、それらはあくまでも統計的な意味で、生体触媒である酵素を用いて生産されるこれらの構造性多糖類は真の立体的均一性を持っています。ここまでは、応用化学や生物化学分野を問わず多くの人たちが理解していることですが、多糖類の天然型結晶構造についてはあまり知られていません。それは結晶状態を示すことが知られていないというよりも、その結晶状態の重要性や生理学的意味についての認識が少ないという意味です。
結晶性高分子材料としてみた場合、合成高分子材料とセルロース・キチンのような多糖類天然型結晶では、まったく材料形成の成り立ちが違います。合成高分子材料形成では、まず重合反応が行われ続けて結晶化のプロセスとなります。それには、通常、高温、高圧または紡糸過程のような力学的な操作が伴います。一方、多糖材料の天然合成では重合酵素表面やその近傍で重合と分子配向・結晶化が連続的に生じます。しかも、常温、常圧下で!図1は、バイオセルロースと呼ばれる細菌由来セルロース繊維の生合成過程の模式図です。
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以上のようなプロセスで合成された結果、例えばセルロース繊維の場合、極めて高結晶性の繊維が得られる一方で、それ自身の結晶形は熱力学的には最安定結晶型の状態に相当しません。天然セルロース結晶は準安定結晶のため、熱、アルカリ、アンモニア処理により様々な結晶多形を生じることがほぼ100年前より知られていました。また、極性基を多く持つセルロース分子鎖による高結晶性繊維のため、水と親和性が良いにもかかわらず水に溶けにくい性質も持ちあわせます(私たちは安心してコットンの下着やジーンズを洗濯することができます)。また、紙や木材は硬すぎず、やわらかすぎず、実に適度な物性を提示してくれます。このような古来から利用されている植物由来のセルロース繊維に比べて、バイオセルロースははるかに細い繊維を構成しますが、そのことが故、バイオセルロース繊維を用いた複合体材料(コンポジット)の創生研究が注目されています。
環境問題と絡んでセルロースやキチンはバイオマスとして、そして生分解性材料としての利点が謳われていますが、このページでは”たくさんあって処分しやすいだけじゃないぞ!”という点を指摘したく思います(これらの素人受けするキーワードのみで、生体材料が語られるのはあまりにも皮相的すぎやしないかと、、、、)。
以上の長広舌は前置きで、ここから本題に入ります。通常、結晶構造解析にはX線回折法が適用されますが、多糖類のような繊維状高分子のX線回折データは繊維図形と呼ばれ分子モデリング計算との併用によって結晶構造決定が可能となります。さらに、分子モデリング(または結晶モデリング)に重点をおこくことによって、X線繊維図形データでは求められない精密な構造情報やミクロ〜マクロレベルにいたる熱力学的、力学的性質を解析する試みも行われています。
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図2は最近、発表したキチンの天然型結晶系のひとつβ−キチン結晶構造モデルです。この結晶構造の基本構造は30年近く前にBlackwellらによって発表されており、私どもの発表は現在の結晶モデリングの手段を使って構造の修正と詳細構造を提案したもので、さほど新規性はありません。ただ、論文発表にこぎつけるまで8年近くを要しました。その原因は、構造が複雑だからというよりなんとも捉えどころがなかったところにあります。ちなみに今から10年程前になりますが、キチンの類似化合物であるキトサン結晶構造解析を手がけましたが、こちらの方は実に”あっさり”と決定できました。その理由として、キトサン結晶は人為的に調製されたもので、おそらくガチガチの最安定結晶構造であるに対し、β−キチン結晶は準安定な天然型結晶であることが背景にあるような気がします。ちなみにβ−キチン結晶構造研究は繊維軸に対するキチン分子鎖の方向を明らかにすることを目的としました。得られた結果とβ−キチン単結晶に対する分解酵素の挙動を比較することにより、キチンは非還元末端で重合反応が進行していることが結論付けられ、生体内におけるキチン分子鎖の生合成機構の一端が解明されました。なお、本研究は京都大学生存圏研究所の杉山淳司先生との共同研究として実施しました。
一方、セルロース結晶構造については、東大農学部(その後、フランスのCNRS)のNishiyamaらが決定版とも言える各種結晶型の結晶構造を報告しました。現在、私どもは、これらのセルロース結晶構造の成果をさらに展開するために(というより、他人の研究成果に便乗して?)、セルロース結晶モデルの溶媒和分子シミュレーション計算を体系的に実施しています。まだ断定はできませんが水溶液中における天然型セルロース結晶モデルの挙動からは、人為的な結晶型のモデルには観察されない興味深い特徴が伺えます。