糖結合モジュールタンパクによるセルロース結晶面認識

LAST UPDATE: 11.21.2009

セルロース結晶材料も酵素によって分解される

 他の生体材料と比較してセルロース結晶材料は難分解性ですが、それでも微生物の働きにより最終的には自然分解を受けます。 特に、カビの1種であるTrichderma reesiは有名で、そのセルラーゼ酵素群は商品化され、個々の酵素については多くの研究者 によって詳細に調べられてきました。特に、Cel7AとCel6Aと呼ばれる、セロビオハイドラーゼ(CBH)は単独のセルロース分子鎖ではなく セルロース結晶面を攻撃し、効率的にセルロースを分解します。これら2種のCBHは、興味深い酵素であり、まるで提灯アンコウの ように、本体の大きなセルロース分解のためのモジュールにペプチド鎖リンカーを介して、セルロース結晶面に特異的に吸着する ちいさなセルロース結合モジュール(CBM)がくっついています。

 CBH CBMのセルロース結晶面認識に関与する部分はほぼ直線状に配列した三つの芳香族アミノ酸で構成されます。芳香族アミノ酸 は糖質関連酵素の基質認識部位に見出され、疎水的とされる糖残基ピラノース環のアキシャル面方向から芳香族環が重なりC-Hのs軌道と π電子の相互作用が生じるとされます。さらに基質セルロース結晶側ですが、分子鎖の配置により天然型セルロース結晶の結晶面は、 糖ピラノース環平面が並んだ疎水性結晶面と水酸基が並んだ極性結晶面と明確に分かれます。これは、どの結晶面においても水酸基と ピラノース環平面の一部が顔をだしているU型、V型結晶とは大きく異なります。CBMは天然型セルロース結晶の疎水性結晶面をねらって 吸着することが確認されています。


分子シミュレーション研究によりCBMの基質認識のしくみがさらに明らかになった

 前章で紹介した天然型セルロース単結晶繊維の分子シミュレーション研究を踏まえ、CBM(Cel7A)によるセルロース結晶表面認識の 仕組みを分子シミュレーションで解析してみることにしました。残念ながらここまでくると同じことを考える人は居ますので、 その時点で幾つかの先行研究が報告されていました。そこで、次の2点について研究戦略の差別化を図りました。

  1. セルロース結晶面のどの位置にCBMを置いたかについて、全く記述されていない(適当に置いた?)、或いは複数の配置をランダムに 試したという程度であった。
  2. セルロース結晶面のねじれ変形が考慮されておらず、全くの平面状態のままCBMを配置させていた。

 1、についての対策は技術的には簡単です。CBMを結晶面上で少しずつ回転と平行移動をさせながら網羅的に結合力の大きさを計算 しました。その結果;

  1. 結晶面の原子配置を反映して、結合の相互作用エネルギーが極小になる位置が明確に現れた。つまり、 セルロース結晶面上にはCBMの吸着点のような領域が存在するということが示唆された。
  2. Cel7A CBMは酵素学的にセルロース分子鎖を還元末端方向から加水分解することが知られていたが、分子シミュレーション計算により、 CBMがその加水分解方向に相当する配置のときにより強く結晶面に吸着する傾向も示された。
  3. さらに興味深いことに結晶面のねじれ変形によりCBMの吸着方向の特異性がより強調される ことも計算結果によって示された。これはねじれ変形によりキラル性を持つ基質表面が発生したためと推定された。

さらに、分子科学研究所の宮田博士研究員のご協力によりCBM−セルロース複合体形成における溶媒和効果について興味深い現象も確認され ましたが、これはかなり専門的な難しい話題なので省略します。


研究成果の論文投稿は急ぐこと!

 分子シミュレーションで得られたすべての結果を安易に実際に起こりうる現象としてみなすべきではありません。 シミュレーション結果を過大に評価することを強く戒めています。そして、原則としてシミュレーションは実験結果を 外挿する手段とみなしています。今回のCBMとセルロース結晶複合体の研究成果は、基本的なところで実験結果と矛盾しないため、 実際にCBMが示す挙動を再現したと考えています。唯一残念なことに重要な結論の一つであるCBM吸着点の存在については、今年(2009年) の6月ごろ米国のNational Renewable Energy Laboratory (日本語だと”国立再生エネルギー研究所”という感じでしょうか)のグループ によって論文発表されていましました。慌てて論文を完成させ、8月に米国化学会のJournal of Physical Chemistry Bに投稿し、11月に 掲載許可が得られた次第です。うれしいことにほとんど修正のないままアクセプトとなりました。研究成果がホットなトピックスで速報性を 要するときは審査も甘くなるようです。このジャーナルはインパクトファクターが4.2と比較的高く、多くの研究者の目に触れるため今後の 関連論文で引用される確率が高くなります。

 まあ、こんなところが大学で研究をすることの醍醐味でしょうか。TLOの方は、成果がでたら発表を控えてまず特許をとりなさいと 言われますが(最も、私の研究は特許になるような性質ではありませんけど)、明らかに他のグループと競合している状況であればさっさと 発表しないと誰かに先をこされてしまいます。その結果、レベルの低いジャーナルを選ばざるを得なくなります。そのような2番煎じの 論文は後日、誰も引用してくれません。