タンパク質のモデリング

LAST UPDATE: 10.10.2006

 生命科学の分野において"バイオインフォマティックス"という比較的新しい用語があります。これは、他の関連語句(システム生物学、生物情報科学、等)と同様に言葉の定義が専門書によって異なりますが、ここでは、”遺伝子に関わる生物の情報をコンピュータで解析し、生物学的に意味のある知識を得て、生命を理解したりそれを応用することを目指している学問”とでも定義しましょう。そしてこのページのタイトルであるタンパク質モデリングはバイオインフォマティクス技術のひとつで、遺伝子情報を翻訳して得られるタンパク質のアミノ酸配列からそのタンパク質の立体構造を予測する方法です。

 生命の部品であるタンパク質や糖鎖分子の果たす役割と分子自身の形態が密接に関係していることは、すでに述べてきました。遺伝子情報は生命(タンパク質)の設計図に相当するのですが、たとえ設計図が手に入ってもこれからタンパク質立体構造の組み立てはそう簡単にゆきません。もちろん生体内或いは細胞内(in vivo)では特定の立体構造を持ったタンパク質が自発的に作られていますが、通常の化学実験のようにビーカー内(in vitro)、ましてやコンピュータによる分子シミュレーション(in silico)で、ランダムな分子鎖の状態から特定の形に折りたたまれたタンパク質を構築することは、現在の技術では到底不可能です。

 ホモロジーモデリングとはタンパク質モデリング手段のなかで最も普及している方法のひとつです。ホモロジーモデリングを建築に例えてみれば、家の設計図はあるけれどそれからどんな外見の家ができるか分からないとき、対象とする家の設計図を既に建設されたあらゆる家の設計図と片っ端から比較してゆき、そのなかからよく似た設計図の家を参考にして、自身の設計図に対応する家を構築しようという方法論です。現在(2005年)、X線回折などの実験的な方法で決定された約30,000個におよぶタンパク質立体構造がデータベースに登録されています。予測対象のタンパク質とアミノ酸配列がよく似ている(ホモロジーがある)タンパク質を立体構造データベースから見つけることができれば、その既知立体構造を鋳型にして、構造未知のタンパク質を予測することが可能になります。実際は多重配列アライメントとかドメイン分割だとか、予測対象によってはさらにややこしい作業が必要になります。

 アミノ酸配列が100%一致すれば問題はないですが、実際はアミノ酸配列の一致度が20〜40%程度で構造予測を試みるようになります。アミノ酸配列が一致しない領域は、立体的な歪み生じたり、アミノ酸の側鎖がおかれた極性環境がその側鎖の物理化学的性質に不都合となる場合もあります。そのような局所的な問題点を解決するため、モデリングで得られたタンパク質を分子シミュレーションにより水溶液中で動かしてやります。その結果、タンパク質の骨格構造が変化して一部のアミノ酸がもっと居心地の良い状態へ落ち着くことが期待できます。

図1 ポリペプチド骨格表示によるホモロジーモデリング予測構造モデル(青)と分子シミュレーションにより改良された構造(赤紫)。
       

 それでは、本研究室が実施した研究事例を紹介します。本学農学部酒井正博先生より依頼を受けて実施しているテーマで、魚類のゲノムより取り出した免疫に関連すると推定される遺伝子を用いて、その遺伝子がコードするタンパク質の立体構造を予測する試みです。 図1に、モデリングとそれに続けて実施した分子シミュレーション計算より提案されたタンパク質立体構造のポリペプチド骨格を比較しました。この予測モデルをさらに改善するために分子シミュレーション計算を継続しています。今後、これに関連する遺伝子群のタンパク質の立体構造モデルを求め、これらの構造分類と比較を行うとともに、受容体タンパク質との結合状態の探索も予定しています。

 けれども、タンパク質の立体構造予測という、ほんの20数年前では到底不可能だと思っていたことがここまで実用的になってきたとは、本当にこの分野の急速な発展には驚くばかりです。実際、解析対象がシングルドメインタンパク質であれば、タンパク質モデリングを専門としない研究者でも鋳型さえ見つかれば簡単に構造予測が可能です。昨今、学会発表や論文などで研究対象とした遺伝子の塩基配列やコードされたタンパク質の生化学的な実験結果に加えて、おまけのようにモデリングによる予測立体構造も提出されるようになっています。結晶構造解析の専門家や多大な労力をかけて決定した結晶構造も、ホモロジーモデリングでお手軽に予測した構造も、最終的にはどちらも見栄えのいい分子グラフィックスで描かれています。もちろん、それらの信頼度は全く異なります。従って、本研究室では、分子シミュレーション計算などによりモデリング構造の精度と信頼度を改良することを目的としています。